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:: Considerations ::
普段何気なく使っている「さようなら」と言う別れの挨拶についてふと,考えた.
「さようなら」は漢字を織り交ぜて表記すると「左様なら」となる.「それならば」という意味だ.左様なら,「左様なら」の後にどんな言葉が続いても良いだろう.では,これがどうして,別れの挨拶になったのだろう.
例えば,こんな経緯なのだろうか.
ある武士が主君の仇を探して,十数年間放浪し,やっと,その仇を追い詰めた.
「十二年前,我が殿を斬ったのはお主だな.」
「さて,そんな昔のことは憶えておなぬな.」
「左様なら,とりあえず,斬るっ!(ザシュッ)」
「ギャー,お別れだー.」
あるいは,こんな経緯なのだろうか.
ある登山家が2人で冬山の岸壁を登攀していたとき,そのうちの1人が手を滑らせてしまった.
もう1人が素早くその手をつかむ…が,2人の重さには耐えられそうにない.
「このままでは2人とも落ちてしまう.手を….」
「左様なら,仕方ないね.(パッ)」
「ギャー,お別れだー.」
少しは頑張ってやれよ.
いやいや,こんなのかも.
瀟洒なカクテルバーで1組の男女が小声で話している.
「もう,君なしでは生きられない.」
「左様なら,お別れね.」
「ギャー,お別れだー.がはっ(吐血).」
計画的犯行チック.
「さようなら」.その言葉の源は,死と悲しみに彩られていたようだ.
この言葉の呪いを消し去るためにも,私たちはもっと愛情を込めて,
明るく爽やかに「さようなら」という言葉を使うべきなのだろう.
小学校の下校時間から少し経って.
児童たちの明るく爽やかな別れの挨拶が夕暮れの空に響く.
「先生ー.左様ならー.」
「ギャー,お別れだー.」
投稿者: 黒澤 司 : 2005/10/27 - 21:43
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